“勉強”って言葉から何をイメージしますか…?


“勉強”って言葉 みなさんはどの様なイメージを
お持ちでしょうか…?

私は子どもの頃、母から良くこの言葉を言われていたこと
あと、何となくですが余り良いイメージではない ですね。 笑
何故、イメージがあまり良くないのだろうかと考えてみると
母の私への言い方と “勉強”の「強(しいる)」という言葉から
「強いられるもの」という外的コントロール的なイメージが
随分と根強く私の潜在意識に入ってしまっているのだと思います。
でも、今 自身の人生を振り返ると これって私自身の人生において
大きな損失では無かったかと随分と後悔しております。 笑

でも、ユダヤ人の家庭教育やノーベル賞を受賞した様な方の
本などを読んでいると この多くの方が持たれているであろう
「勉強」という言葉に対して持っているネガティブなイメージが
社会に対してもとても甚大な損失を与えている様に思えてきます。

何を失っているか……?
このネガティブなイメージが子ども達が本来持つ学ぶことへの好奇心
自発的な学習 教育本来の目的を見失わせることで
具体的には子ども達の無限の可能性失われている様に思われるのです。
更に、そのことによって社会の未来 発展の大きなブレーキに
なってしまっているのではないでしょうか?

そこへ一石を投じたい それが私の幼児教室開校への切欠
思いだった様に思います。

皆さんは ご自身のお子さんに
「何で勉強しなきゃいけないの…?」って尋ねられたら
子どもが納得できるお答えをお持ちでしょうか?
もし、お持ちでなかったら お子さんに学ぶことの嫌いな子に
してしまい それがお子さんの持つ無限の可能性、幸せへの道を
閉ざしてしまうことになってしまうと思いますが
如何でしょうか?